2016年8月21日日曜日

演出、小池博史より稽古場レポート!



演出の小池博史の稽古場レポートです。


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8月4日の稽古開始からすでにのべ16日間の稽古を終えた。今日は三回目の休日。だが、私にとっては休日は他の仕事をしなければならない日でもあるから全然休めないけれど、せめてマッサージにでも行きたい。


ほぼ48分が形になりつつある。まずまずは予定に沿って進んでいるが、これから戦争の章に突入していくので、細かな動きをさまざまなパートで展開させるので大変になるのは間違いない。

相当ハードな毎日だ。しかし海外制作には慣れているからそれ自体の問題はない。資金面の困難さえ除けば、毎日がきわめて順調に推移し、それも高いレベルのアーティストが集合し、文化の相違の面白さを毎日感じながらの創作となっている。

この面白さは強く刺激的だ。今回は舞台上に乗るのはインドネシア人、マレーシア人、フィリピン人、日本人であるが、加えてスタッフとしてインドネシア人、日本人、インド人、カンボジア人アーティストが加わっている。つまり6カ国のアーティストが関わっている。
アーティスティックな面ではとてもハードだが難しさはなく、楽しさ、面白さの方がはるかに勝る。が、マネージする側はきわめて大変である。ビザの問題、オーガナイザー同士の問題、警察やら役所やらの問題、券売をどうするかといった問題、さまざまな問題を乗り越えていかねばならぬ。これを1カンパニーが行うには大きな壁があって、簡単ではないどころか、果たしてこのようなことを続けられるのか、と何度も逡巡することになる。


しかし、こうした創作が「世界」を考えるには非常に有効なのは間違いない。今、世界は一所懸命対立を煽る。近視眼的利益を求めてしか世界運営はなされていないかの如く、である。資本主義自体の破綻を感じつつ、近視眼の利益を求めれば、対立へ向かわざるを得ないのはわからないでもないが、こんなテクノロジーの時代になっての「対立」とは「完全な崩壊」への序章であることを暗黙の了解とするしかあるまい。であれば、どうせ世界は崩壊するのさ、とうそぶきつつ、享楽の思想で魂を悪魔に売ってしまうのは、楽と言えば楽だ。





だが、私たちが考えねばならないのはいかに「調和」を生み出すかであろう。それを一義にする。対立を煽っても、対立は対立しか生まない。対立と崩壊の過程が「マハーバーラタ」であるのを利用しつつ、「調和」の思想の具現化をはかるのが本シリーズである。それも身体を介在するから、どうあっても強いリアリティを持つ。


四カ国のパフォーマーがきらきらと輝き、さまざまな言語が混じり合いつつ、メルティングしていくさまからは強い可能性を感じる。私の作品中ではこの「メルティング」がきわめて重要なのだ。各々の文化が独自性を持つのは当然として、そればかりの主張ではまったく面白くない。融合すること。世界は調和しかあり得ないこと。戦争のなかった時代はないにせよ、それを具現化し、可能性を探っていかねばならぬのが、テクノロジーとともに生きざるを得なくなった私たちの使命だと考えるべきだ。


舞台芸術は限られたメディアであるため、観ることすら簡単ではない。地域性も強くなる。日本から見に来ることは非常に難しい。だが、これを目撃するのは大いなる可能性の発現を目にすることであろう。


以下の写真は今回の出演者たち。左からRiyo(スマトラ)、白井(東京)、Swee Keong(クアラルンプール)、Suryo(ジャワ、マゲラン)、Gunawan(ジャワ、ジュグジャカルタ)、小谷野(東京)、Wangi(ジャワ、インドラマユ)、Carlon(マニラ)、Sandi(ジャワ、マラン)



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